2017年8月15日火曜日

72年目の終戦記念日を迎えて

 今日は終戦記念日だが東京の天候は雨模様、72年前の8月15日は雲ひとつない真夏日の快晴で、正午に敗戦の玉音放送があったことを、当時6歳の少年は記憶している。

 父親は前年に出征していたので、少年は姉妹と母親の実家がある群馬の山間部・片品村へ疎開して居て、3月10日の東京大空襲の壊滅的な惨禍を、この疎開で免れていた。

 出生地の東京・江東区北砂町にもし留まっていたら、下町一帯が焼失した範囲に属するので、おそらく少年も生きながらえることは出来なかったのではなかろうか。

 幸いにと言うべきかどうかは判らないのだが、ほとんど戦火に関わらない山奥で終戦を迎えたので、正直、戦争という事態には何の関心もない平凡な少年であった。

 ただ茹だるような酷暑と山間の抜けるような青空に、大人たちの異常な騒めきがあって終戦の事実を知ったが、少年にとっては普段とまったく変わらない日常だった。

 今回の写真(下)は現在の住まいの一画にある向日葵畑だが、少年時代も真夏の花の定番で、8月15日というと晴天下の野に咲く“ひまわり“をイメージしてしまう。



 少年は長じて演劇を生業としたが、その成長の過程で朝鮮戦争やベトナム戦争を身近に体感しながら、戦後の護憲とともに先鋭的な反戦思想を抱くようになっていた。

 人それぞれいろいろな考え方はあるだろうが、臆することなくおのれの考えを語れる社会と、日本が多様性を認め合う自由な国であることを世界に発信したいと思う。

 まあ、あまり偉そうなころを言える人間ではありませんので、大いに照れてしまうのですが、このブログでもしお気に障るような点がありましらたご容赦下さいませ。

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