2018年12月17日月曜日

お久しぶりです!

 最近はどうも年齢のせいか、ブログが書けなくなった。日常の行動範囲が狭くなって、記録しておきたい出来事がめっきり少なくなったこともあるが、働き盛りを過ぎた年代の人間として、もう時代の流れを見守る位置だろう、との想いから “ もの申す”という意気込みが消沈している。

 私事で恐縮ですが先月、娘が体調を崩して入院し、今年は紅葉の物見遊山もお預けになったが、今月の7日に様子を見に行った病院の敷地内(左の写真)で拝観できて、その娘も明後日には退院の運びとなり、どうにか平常通りに妻子揃って年の瀬と新年を迎えられそうだ。

 昨日は私が所属する東京俳優生活協同組合(略称=俳協)の今年度総会が東京・四谷であり、440人からなる集団で私自身は仕事量は歳相応に減少したが、事務所の動向を確認したり仲間と親交を温める場なので出席した。

 日産のゴーン会長、中国の通信機器大手「ファーウェイ」
フランスの大規模デモ、沖縄の普天間基地、等々、成り行きを注目しており、個人的には安穏としてはおれない世の中の動きなので、新しい年も気が抜けないだろうと覚悟!してる次第です。

 

2018年7月16日月曜日

西日本の豪雨災害

 7月5日に降り始めた雨が勢いを増して、翌6日~7日には岐阜から長崎に至る西日本の計9府県に甚大な災害を警告する気象庁の「大雨特別警報」が発令され、このブログを書いている16日現在で広島100人、岡山61人、愛媛26人など16府県にわたり計210人の死者、計20数人の行方不明者という大惨事になっている。

 そして、この豪雨被害は土砂崩れ、河川氾濫によって家屋の損壊などで計二千数百人が避難生活を余儀なくされているようだ。私はこの度の被災地とは圏外の関東(東京)の人間ですが、この国に住んでいる限り、7年前の福島沖を震源地として発生した東日本大震災の記憶も生々しく、決して他人事ではありません。

 まして西日本豪雨に先立つ6月18日には震度6の大阪北部地震が起きたばかりです。今度の豪雨災害でも痛感した事は、例えば1910年代、和暦で言うと大正時代ですが東京を襲った関東大震災、東京の下町に大被害をもたらしたこの震災については私など亡父(明治生まれで震災当時12~3歳)から聞いた話ですが、実際の体験者はもうこの世にほとんどいない昔話です。

 で、自然災害への対処となると、やはり時の政府に頼らざるを得ない。国を挙げての防災という点では、被災者の救済が何より優先事項でしょう。(今回はこれが随分後手に回っていたようですが)被災の怖さは、経験値を超えた今回のような災害が起こった時こそのものです。東日本大震災のときもそうですが、想像を絶する規模の災害です。

 今年は梅雨明けが例年より早く、関東・甲信地方も6月下旬に明けて、そのあたりからこれも例年にないほどの猛暑日が続いています。なんだか凄い異常気象を感じますが、季節の花も陽気に戸惑いながら開花しているようです。

写真は梅雨時の紫陽花で、すでに咲き終えていますが、この連日の酷暑は被災地の復旧・復興作業も難儀だろうとお察し致します。

 いずれにしたも予想外といいますか、予期できないのが自然災害で、被災は他人事ではなく生きてれば誰しも、経験したことがないような地震や風水害の脅威に曝されている、と思うのですが、これ日本人の宿命なのでしょうか
 
 日本には「天災は忘れた頃にやってくる」という諺がありますが、これがいまや当てはまらぬほど頻発するので用心が怠れなません。明日はわが身、と覚悟しておかなければなりませんね。


2018年5月10日木曜日

今年もGWは自己流で

 GWが終わり坦々とした日常の生活に戻って、何故かホッとしている自分ですが、個人的には連休明けの一昨日8日に身内の七回忌の法事を施主として行ったので、休暇は行楽や世間の賑わいから外れて自宅で過ごしました。

 さて、このブログも2か月ぶりで、歳のせいかも知れないが最近はなかなか筆が進まなくなりました。PCをやってると情報過多で、こちらが求めているものに付随してフェイクニュースまがいのものだったり、個人的に楽しむSNSでの発信が誤解を生んだりで、気後れしてました。

 かといって、デジタルテクノロジーやIT(人口知能)の時代に生きているのですから、年寄りだからとそれら現代のハイテクを最低限使えないと身動きができない。先端を行くのは無理としても自身の生きる力として、文明の利器を身に着けたいものです。

 いい気候ななりました。これからの梅雨入りまで日本は最も好い季節ですよね。私が日課にしている早朝の散策で行く近所の公園ではハクウンボク(白雲木)の花が終わり、いまエゴノキ(売子木・←写真)の花が満開です。

 元来が夜更かしで早起きは苦手ですが、この季節は6時に起床して徒歩5~6分の公園に行き、ラジオ体操をやったあと周回遊歩道を30~40分ウオーキングというのが日課ですが、雨の日や寝坊でなかなか毎日とはいきません。

 それと、仕事のほうはボチボチで近々1本、オーデションの予定が入っていますが、生活のメーンは身体トレーニングや読書、映画鑑賞(DVD含む)などが近況です。


2018年2月12日月曜日

光陰矢の如し!

本題の「光」は日「陰」は月の意
時の流れの速さをたとえた「ことわざ」なのだが
折々にこの言葉が脳裏に浮かぶのは歳のせいかも知れない

月日の過ぎるのが(弓の)矢のように早いというたとえ
文字ずらからして古めかしい時代物の世界で
いまどきの若者ならまず使わないのではないでしょうか

ですから高齢者という断りを付けなけりゃなりませんが
このあいだ新年を迎えたと思ったらもう2月12日
日めくりの暦があれよあれよと厚みを減らして紙屑に


現在お隣の韓国で冬季平昌オリンピックが開催中ですが
核ミサイルなどで険悪化している北朝鮮の問題
日本国内では記録的な大雪や寒波が襲来する異常気象

国民個々の生活にもいろいろと影響がありそうな
憲法や景気等々の時事の動向にも一抹の不安を覚えながら
月日の早い流れに身を委ねているといった次第です


いったい今年はどのような年になるのだろうか・・・・・・
いや、こういう年にするぞ!と気概を持ちたいところだが
現実社会は不確実性に満ちていて掴みどころがない

とりあえず日常の些末な事柄に右往左往しながら
そうだ
明日は立川税務署へ確定申告に行こう!

 

2018年1月20日土曜日

他人(ひと) の為に・・・

 さすがに最近は歳相応というか、傍目にはかなりの高齢者と映るようで、混んだ電車やバスに乗り合わせたときなど席を譲られることが多くなった。そんなときに、最初のころは幾度か「大丈夫ですよ」って断っていたが、この頃は折角の好意を断るのも大人気ないというか、なにを若ぶっているだという自嘲があって、素直に座らせてもらっている。

 もっとも、こうしたマナーに関わる人間社会のあり様は複雑で「わざわざ混んでる電車に年寄りが乗って来るんじゃねえよ」といった迷惑顔も垣間見える次第で、人は誰しも固有の物差しを持ってるからね。けれども、自己中では生きて行けないのではないかなぁ~。もし、自分ファーストを通したら他人さまは・・・・・・。

 いや~、自分第一で連想しちゃうけど、アメリカはどうなっちゃうのかなぁ~。トランプさんという企業家が大統領に就任して1年経ったけど、米国ファーストを掲げた諸政策が行き詰ってるね。もともと世界一の強力国家なのに、ファーストなんてことを強調するから「じゃあ他所の国はどうでもいいのかい」って反発を買い、いまや欧州をはじめ世界中の国々から非難の声が上っている。

 そんな声に動じない国力がいまはあるのだろうが、問題はこのまま突き進んだら米国は衰退の一途かも。国家間レベルの関係は相互にメリットが保持できなければ、片方だけの利益で成り立つはずがない。まぁ、私は政治家でも評論家でもない一般人、それも市井の一老人なので偉そうなことを言えた義理ではないが、ファーストという立ち位置がどうにも気に食わないのだ。

 話を元に戻して電車の中の席の譲り合い、自力で出歩くためには足腰を鍛えねばと、自慢じゃないが鍛錬だけは若い頃から怠らず続けている。いまは歳を考えて近所の市設公園の遊歩道(写真)が私の訓練場で、朝食前の1時間、ここで身体を鍛えている。都心でなく未だ緑豊かな郊外に住んでるので近くの玉川上水をはじめ、一帯が自然豊かな環境で生活圏としては住みやすい。

 もちろん、自分のことだけでなく、他人のために出来ることをやらねばと思っているが、その気持ちとは裏腹におのれの無力を棚にあげてるなぁ~と、内心忸怩たるものがありますが、ともかく地道にやって行くしかない。

 http://ameblo.jp/syu-036

2017年11月21日火曜日

人生八十年の時代!

 人生八十年の時代になったという。但し、これは「日本人が」という注釈を付けなくてはならない話で、人類の平均寿命はとなるとどうなのだろうか。そして、長寿国と認められるJapanも、明治、いや昭和の太平洋戦争の頃までは人生五十年と語られていたはずである。

 想えは遠くへ来たもんだではないけれど、少子高齢化社会などの現象もあって、長寿を喜ぶべきか悲しむべきか迷うところだが、小説家の佐藤愛子さんの言葉をお借りするようで恐縮ながら「九十歳で何がめでたい!」と、寄る歳並の真実を追求したくもなる。

 例えば今から70年前の日本、広島・長崎の原爆被災、東京をはじめ主要都市が壊滅に等しい戦火で国が敗れた。この敗戦を契機に日本は大転換する訳だが、戦前に無くて戦後生まれた主な物を揚げると洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの電化製品の一般家庭普及がある。近年、携帯・スマホが常態化しているが、個人宅の固定電話の普及も戦後のことである。

 戦後の高度成長期を支えた団塊の世代が定年で高齢者の仲間入り、同時にインターネットの普及下に育った平成生まれが現役世代となった昨今、思えば遠くにーーの感覚を60代以上ならば否応なく実感するところであろう。それが時流の必然とはいえ社会の現実なのだ。

 まぁ、世代間の葛藤はあるにしても、居心地の良い関係を維持したいものである。燃えるような紅葉(写真はドウダンツツジの植え込み)に気持ちが和むとか、ごく些細なことでも意外と交歓できたりする。要は、相手の立ち位置を理解できるかどうか、なんでしょうが、老若男女のコミュニケーション能力というものが問われそうですね。

 先ずは、歳を忘れて頑張りましょう!

2017年9月26日火曜日

玉川上水は今も清流

 先日、お彼岸のお墓参りへ行ってきました。わが家のお寺は都内の台東区松が谷2丁目に在り、浅草界隈の一画に位置しておりますが、この辺りは江戸時代に明暦の大火(振袖火事、1657年)で市中大半を焼失した後の幕府の復興計画に添って江戸城周辺の諸寺院が、上野公園と地続きの元浅草方面一帯へ移され、新寺町として形成された所です。

 わが家のお寺の名は「聖徳寺」、正式には「浄土宗用明山四天王院聖徳寺」と申しますが、名称通り用明天皇とその皇子聖徳太子に由来を発し宗祖は法然上人です。以上は“聖徳寺史”からの引用で、私自身は実のところ両親から家の墓を引き継いで未だ6年経つかの新参者ですので、檀家としては頼りない始末であります。

 生前の両親から何も聞かずじまいでしたので、実父が浅草の出身だったことや、自分が江東区砂町で生まれ、荒川区東尾久で育ったこと、墓石に天保ほか江戸時代の年号が彫り込まれていることなどから、自家とお寺の関係が古いということは分かるのですが、聖徳寺も関東大震災や昭和の大戦などで何度も焼失してますので過去帳が残っておらず、両親以前のことがほとんどわからないのです。

 私の苗字「暮林」はネットなどで同姓が見られるが、珍しい名前で実際に同じ姓名の方と対面したことがない。ですから、わが家のルーツというものを私自身は全く知らないのです。

 聖徳寺は江戸時代初期の多摩・羽村堰から城下の四谷大木戸までの「玉川上水」を開祖した庄右衛門、清右衛門兄弟の墓所として東京都旧跡に指定されています。私は実家の荒川区から仕事の関係で中野区鷺宮で自立し、結婚を契機に最寄り駅が私鉄西武線の駅「玉川上水」という地域へ移転して、現在に至ります。

 人生を考えますと、人の生い立ちや何やら“縁”というものを感じてしまうのですが、自分のやりたいようにやっても、生きたいように生きてきたつもりでも、所詮は“他力本願”なのかも知れませんね。玉川上水駅あたりの玉川上水道は私の散歩コースで写真は8月末に写したものです。9月に入ってからもよく歩いています。

 玉川上水は開設以降、明治末年まで江戸・東京の飲料水として利用されていたが、明治44年に新宿・淀橋浄水場が完成してその役目を終えた。その後も原水の導水路として川筋は活かされ、現在も羽村から東村山浄水場へ多摩川の清流を送ると共に都心まで水路は残っています。

 西武線の玉川上水駅は立川市と東大和市の境界に位置していて、このあたりの玉川上水路は未だ清流が豊かで、四季の自然を満喫できるほど、散策にはもってこいの環境なので、近くに住むようになってから私のウォーキング場にしてるんですよ。