2017年9月26日火曜日

玉川上水は今も清流

 先日、お彼岸のお墓参りへ行ってきました。わが家のお寺は都内の台東区松が谷2丁目に在り、浅草界隈の一画に位置しておりますが、この辺りは江戸時代に明暦の大火(振袖火事、1657年)で市中大半を焼失した後の幕府の復興計画に添って江戸城周辺の諸寺院が、上野公園と地続きの元浅草方面一帯へ移され、新寺町として形成された所です。

 わが家のお寺の名は「聖徳寺」、正式には「浄土宗用明山四天王院聖徳寺」と申しますが、名称通り用明天皇とその皇子聖徳太子に由来を発し宗祖は法然上人です。以上は“聖徳寺史”からの引用で、私自身は実のところ両親から家の墓を引き継いで未だ6年経つかの新参者ですので、檀家としては頼りない始末であります。

 生前の両親から何も聞かずじまいでしたので、実父が浅草の出身だったことや、自分が江東区砂町で生まれ、荒川区東尾久で育ったこと、墓石に天保ほか江戸時代の年号が彫り込まれていることなどから、自家とお寺の関係が古いということは分かるのですが、聖徳寺も関東大震災や昭和の大戦などで何度も焼失してますので過去帳が残っておらず、両親以前のことがほとんどわからないのです。

 私の苗字「暮林」はネットなどで同姓が見られるが、珍しい名前で実際に同じ姓名の方と対面したことがない。ですから、わが家のルーツというものを私自身は全く知らないのです。

 聖徳寺は江戸時代初期の多摩・羽村堰から城下の四谷大木戸までの「玉川上水」を開祖した庄右衛門、清右衛門兄弟の墓所として東京都旧跡に指定されています。私は実家の荒川区から仕事の関係で中野区鷺宮で自立し、結婚を契機に最寄り駅が私鉄西武線の駅「玉川上水」という地域へ移転して、現在に至ります。

 人生を考えますと、人の生い立ちや何やら“縁”というものを感じてしまうのですが、自分のやりたいようにやっても、生きたいように生きてきたつもりでも、所詮は“他力本願”なのかも知れませんね。玉川上水駅あたりの玉川上水道は私の散歩コースで写真は8月末に写したものです。9月に入ってからもよく歩いています。

 玉川上水は開設以降、明治末年まで江戸・東京の飲料水として利用されていたが、明治44年に新宿・淀橋浄水場が完成してその役目を終えた。その後も原水の導水路として川筋は活かされ、現在も羽村から東村山浄水場へ多摩川の清流を送ると共に都心まで水路は残っています。

 西武線の玉川上水駅は立川市と東大和市の境界に位置していて、このあたりの玉川上水路は未だ清流が豊かで、四季の自然を満喫できるほど、散策にはもってこいの環境なので、近くに住むようになってから私のウォーキング場にしてるんですよ。

 

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