後悔ではなく、どんな職業でも苦労は付き物だろうが、好きなことに、夢中になれたことが半世紀も続けて来れた要因だろうし、才能があったかどうか、運があったかどうか、いまだに自分ではわからないのだけれど、身体が健康であれば生涯現役で通すことも夢ではないと思っている。
と、言っても需要があるかどうかは別問題、キャリアは長くても無名だし、最近は企業や医療関係の社内・顧客向けのVP(ビデオ映像)DVDなどのドラマ仕立ての作品が主な仕事になって、本格的なテレビ・映画への出演は稀にしか来ないし、その点では大いに欲求不満な状態である。
この歳をして気恥しいがチャンスならとオーディションも進んで受けているのだが、年齢と実物のギャップがあるようでなかなか合格しない。ひとつの役を10人前後の役者が呼ばれるのだから決まる確率は低いとわかっていても、その厳しさが身に染みて自信を失うこともあるが・・・・・。

先日も六本木の某所へオーディションを受けに行ったが、感触で先方が求めている役柄は自分の柄と違うな・・・・と自覚、終わったあとに、久しぶりの六本木界隈から東京タワー(写真)あたりまで散策を楽しんできた。
また、つい3日前には所属事務所(俳協)のアルバム撮りがあった。
その写真スタジオは上野・不忍通りの千駄木町にあり、根津、湯島と共に青春時代からの馴染みの界隈、東京の下町として随所に昭和の面影を残す場所柄で、浅草から一帯をなすこのあたりに身を置くと、実に気分が落ち着くのである。ちなみに、私の出生地は江東区砂町で育ったのは戦後、疎開先から戻った荒川区尾久(現・東尾久)、高校は上野公園の一画にあった。
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