私が中学、高校生のころは松竹、大映、東宝、新東宝、東映、日活が映画制作を独占的に行っていて、「五社協定」と言われる固い制約のもとに各社がスタッフ・キャストを専属化していた。(上記の6社が実在しながら「五社協定」と称された事情はわからないが)戦後の映画全盛期だった。多分、当時の熱狂はいまの若い人たちの想像を超えている。
私の自宅は荒川区尾久という下町の町屋(家屋が並ぶ住宅街)にあったが、5分も歩けば3箇所に映画館があった。木造の芝居小屋を思わせる映画館だったが、2本立て、3本立てで上映され、行くたびに満席だったし立ち見で観ることも多かった。高校時代は学校が上野だったので、映画館も繁華街へ移ったが。
現在の映画館通いとは隔世の感があり、所帯をもってから郊外に移り住んでいるが、車で10分ほどの所にシネ・コンがある。だからミニシアターでしか観れない映画を除いて、近年は都心より地元で観るほうが多い。しかし、最近は試写会はともかくとして、観客で満杯になるような場にほとんど出会えない。
地元のシネ・コンはNo.15までスクリーンがあって(常時8スクリーンは稼動)評判の作品をロードショウ上映しているが、商業施設内にある映画館なので混雑する土、日、祝日を避けて観てるとはいえ、何時も観客はパラパラ。また、ここ数年は都心のミニシアターの閉館が目立っている。映画館は一体この先どうなるのか?
映画自体のデジタル化にともなう問題とは別に、家庭のテレビの大型化という点も見逃せない。映画の大スクリーンで観る価値や魅力もさることながら、観客側の立場を考えると日時に制約がある映画鑑賞に割くのが難しくなっているのではないか。演劇なら劇場に足を運ぶのが必須条件だが、映画は自分の都合のいいときにDVDで観られる、という訳。
映画館の興行というスタイルは将来的には無くなる運命にあるのかも?と思う。それが100年後なのかも知れないが、伝統文化としての継承は望めても映像の公開形態はまったく新しい様式に変化しているのではなかろうか、そんな気がするのです。
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