衣替えの候、6月もはや1週間が過ぎまして、
日本は春夏秋冬のメリハリが諸外国より明らなので、
いや、世界的な気候変動で明言は憚りますけれど、
季節の移ろいが固有の生活様式を生んでいると、
冬物と夏物衣類の入換え作業に1日を費やしながら、
厄介と思いながらも楽しんでいる自分がいます。
住んでいるのは米軍横田基地に近い武蔵村山市で、
この季節を彩るあじさいの花は未だ二分咲き、
先日訪ねた広島市でも紫陽花を見なかったから、
あるいは入梅を真近に控えて咲く花なんだろうか?
例年、衣替えが済むと間もなく入梅だから、
夏物っても長袖類を仕舞っては後悔するし・・・ね。
梅雨時の小雨に煙る紫陽花は一段と映える。
映像の仕事していると季節には敏感なのかしら、
それとも季節感ってのは日本人特有のものなのか?
黒澤明、溝口健二、小津安二郎、木下恵介・・・・
日本を代表する映像作家たちの作品が雄弁に語る。
が、季節も時代とともに変わるようであります。
ですから、現代の映像作家が描く季節と言うものが、
それは感覚に属する部分かも知れないけれど、
当代に生きる者たちに共通の季節感があるのでは。
ぼくなど、もう年寄りの部類に属するもんでして、
そうした現代の感覚に疎いことを認めざるを得ない。
まぁ、だからと言って諦めている訳でもない。
人間、個人でやれることなんて多寡がしれてます。
自己嫌悪に陥らない環境のなかで仕事ができれば、
これほど幸せなことはない、なんて考えてるんですよ。
どうも消極的でいけませんね・・・・しかし・・・です。
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