岩波書店の広辞苑によると「初老」とは“老境に入りかけた年ごろ”とあり、“40歳の異称”だそうである。いまの40歳といえば働き盛りの現役バリバリで、あまりピンとこないが。その世代の人たちに、はたしてどれだけ「初老」の自覚があるだろうか?
「老人」という年齢は一般的には60歳以降を指すのだろうが、いまの60代を人生50年の江戸時代に当てはめることは出来ない。壮年の気力が充分にあるのだ。ただ、この年代になると「老いていくということ」が切実な関心事にはなる。
私は28歳のときに60代の老人、つまり「老け役」をやっている。いま現実に60代の当事者となって、その経験は感慨もひとしおのものがある。舞台だから顔はメークでなんとでも出来るのだが、老人の体つきや動作に苦労したことを鮮明に覚えている。
演劇集団「未踏」(という劇団)が東京・渋谷の初台を本拠地に旗揚げして、その第2回公演「みんなのなかのわたし」でのことである。主宰の立川雄三さんの作・演出による集団と個人の論理を農村を舞台に描いた作品だった。
私が演じた老人と実年齢が重なった今思うと、観客の目線で老人に化けきることはできたと思う。が、老いていく──という60歳代の内向する感覚や思考を持つことなど到底無理であったろう。そう、この歳になって気付くのである。
しかし、私には大変勉強になった舞台だった。もちろん、当時は「なんで俺が老人役なの」と配役した立川さんを恨んだものだが、劇団の事情やこの芝居の登場人物などの関係もあったし、師を恨む筋合いでないこともわかっていた。
日本はすでに高齢化社会、そして老人はますます増え続けるだろう。生きる者はすべて老いる──が、その身にならないと解からないことも多い。その生きざまも様々であろうが、老害だけは避けたいものである。
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