人間、鋭敏な感受性を発揮できるのは10代後半から20代なかばまでではなかろうか。その頃に観た映画で黒澤明監督の『生きる』(1952年)、エリア・カザン監督『エデンの東』(1954年)、イタリアのピェトロ・ジェルミ監督『鉄道員』(1956年)、フランスのルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』(1960年)などに感化され、半世紀も前の体感ながら鮮明に覚えている。
後年、これらの映画を懐かしく想い出してはDVDなどで観直しているが、初見のころの感動が薄れることなく、おのれの歩んできた道が、これらの映画に影響されてきたことを実感する。1960年は日本の元号だと昭和35年、国内は「60年安保」で騒然としていたが、僕はその前年に21歳で演劇の世界へ飛び込み、俳優座劇場で初舞台を踏んだ。
その後は喫茶店などでバイトをしながら劇団活動を続け、座員全員がテレビなどにも出演していた関係で、入団してから2年後ぐらいには端役でテレビや独立プロの映画にも自動的に出演する機会に恵まれた。そうした流れの延長線上に1979年公開の米国映画、フランシス・フォード・コッポラ監督作品『地獄の黙示録』など印象深い映像もあった。
当時は演劇、それもアングラ的にベトナム戦争を題材にした反戦演劇に熱中していたので、いま振り返ると若気の至りみたいな面映ゆい活動だったけれども、一方で生活費のためにテレビ局や映像制作会社などのシビアな現実と向き合っていたので、俳優としての現役を続けて来られたのだと思う。まぁ、続けたことの良し悪しはわからないけれども。
ただ、僕は映画には若いころ数本出ただけで、もっぱら勉強目的の観客側なのだが、月間5~6本は観賞して、パソコンに記録していても、若い頃のように衝撃的に突き動かされるような体感は無くて、この間観た映画がさてどんな内容だったっけ、と思い出せない。数多く見過ぎて混乱するのかも知れないが、歳のせいもあるのか感受性が記憶に繋がらない。
一概に映画といっても最近は技術の発展で形態が様々だし、映像を楽しむ観客側に趣味趣向も多様化しているので、僕らの若い頃とは次元が異なって当然なのだろう。だがら、このごろは暗闇のなかでスクリーンと相対している瞬間こそがすべてで、その映像の世界に立ち会う数時間の体感に価値があり、映画館を出れば醒めた現実に対峙するということでいいのだろう。
そういう意味で僕などは感傷的すぎる。残念ながらおのれの居場所も年々狭まるし、世の中、いつの時代も若いうちが花で 「老いては子に従え」でないと駄目らしい。弱音っぽく聞こえるかな。決してそうではありませんぞ!歳はとっても気概は旺盛、年寄り並にやることはまだまだございますよ。
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