いまの子供たちにとって、家にテレビがあることはごく当り前のことで、何の違和感もないであろう。だから、テレビのない時代に育ったぼくらはすでに時代劇の中の人間なのかも知れない。
テレビが世に出たのは1953年である。その年の2月にNHKの本放送が開始され、続いて同年8月には民放の日本テレビが開局した。当時の大卒の初任給が8,000円程度、いまから55年前のことであるが、まさに隔世の感がある。
ちなみにその翌年、黒澤明監督の秀作「七人の侍」が公開されている。ぼく自身は中学を卒業して高校へ進学した年である。そして、日本はいまだ敗戦の傷を残し、国民の生活も一様に貧しかった。
戦時中から敗戦直後、つまりぼくの幼少期から少年時代の話になるが、強烈な思い出として忘れられない出来事がある。東京生まれのぼくは当時、母のふるさとである群馬県利根郡片品村へ疎開した。
その疎開先で尋常小学校の1年生になるのだが、ある日、地元の少年と近所の山へ遊びに行ったときのこと。獣道のような険しい山道を分け入ると山つつじの花がいたるところに咲いていた。それは子供心にも美しい光景だった。
田舎育ちの友達がその山つつじの花を“甘くてうまいぞ”と薦める。食い物不足で年中空きっ腹を抱えていたぼくは、恐る恐るその花を口に入れてみた。確かに甘い。それからのぼくは目の前の花を片っ端から食べてしまった。
そして、家に帰ったあと猛烈な吐き気に襲われ、洗面器一杯もあろうかというほどの血(つつじの花の残骸だが)を吐いてしまった。吐き出してしまえばケロッとしたもので、まったく大事にはいたらなかったのだが・・・・。
いまにして思えば、物不足の時代でも身体は健康に育ち、このような無茶をやっても身体自体が自然に正常値に戻してくれた。いまの少年たちを見ると、そうした治癒力に不安を抱くが、危ないことは初めからやらないのだろう。
テレビの本放映が始まってから10年後には、ぼくも仕出し(エキストラ)に毛の生えたような端役でテレビドラマに関わり始めた。それからこんにちまで俳優を続けてきているのだから古いと言われても仕方がないか。
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