役者には、感性が鋭く器用に役をこなす人と、感性が鈍くてどうしようもなく不器用な人がいる。そして、自分はというと完全に後者のほうに入る。
この二つのタイプでいうなら、前者は生まれながらに俳優の資質を有し、演じることの天性と演技者としての適性があるといえそうだ。一方、後者は訓練と努力を己に課してどうにか役者の仲間入りを果たしているように思う。
だからという訳ではないのだが、後者である私は一つの役をいただいて、それを演じるときの苦しみが尋常ではない。「悪戦苦闘」という言葉がぴったりはまるほど、出演する度に実力の無さに打ちのめされるのである。
それなのになぜ役者を──と自問自答してみると、苦しくて辛いのだけれど、己の創造した人物がドラマの中で生きられたとき、至上の開放感と幸福感があるからだろう。
正確に数えたことはないが、私はこれまで舞台、映画、TVを合わせ、約350本は下らない作品に出演してきた。もちろん、かけだし時代の端役も含めての数だが、一度も廃業を考えずここまでやってこれたのは不器用だったからだと思う。
そして、こうした私の役者人生からすると、出演作品の企画段階から関わるのと、規定路線の定まった作品にゲスト的に関わるのとでは、演技者としての発露に格段の差が出てしまう。
その点は俳優すべてに共通するのだろうが、特に私みたいな不器用役者には企画段階から参加して、スタッフ、キャストともども喧々諤々と議論しながら作品を仕上げて行くほうが、自分の芝居もうまくいくからである。
ところが、残念ながら私のこれまでの出演作は、圧倒的に途中参加が多い。企画の固まらない時点から参加できるなら、ノーギャラでも学生映画でも喜んで出演しちゃう気構えなんですが・・・・。
*所属事務所 俳協URL http://www.haikyo.or.jp/
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最後までありがとうございました。(暮)
1 件のコメント:
こんにちは。
のんてことのりちゃんです。
実は、私、高校時代、演劇部にいたんです。
たぶん、その頃から、何かを表現したいという欲求があったのだろうと思います。
女子高だったので、私はいつも男役でした(身長は低いのですが、全体的に少年っぽいイメージがあったようです)。
異性を演じるのは楽しかったです。
でも、どんどん自分の理想像になっていってしまうんですね。
役を作りあげるという意味では、まったく失格でした。
暮林さんは、役を作りあげ、そしてその人をドラマの中で生かしておられるのですね。
自主制作映画を作っている仕事仲間の知人がいるのですが、彼と話していると、鋭い「ひらめき」のようなものを感じて感心することが多々あります。
何かを作りあげることができる人というのは、ご自分では気づかなくても、何か……それが何かとはちゃんと説明できませんが、人間を見る目の中に、独特の視点があるのではないでしょうか。
またお邪魔します。
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